ご無沙汰してしまいました。
東京23区ブラ歩き 荒川区・音無川篇の後篇ですがな。
ここでもう一度、今回のルート確認のため、Googleマップを再掲しておきますよ。
思いのほか満喫した荒川区立荒川ふるさと文化館をあとにして、すぐ隣の、延暦十四(759)年からある素盞雄神社へ。えらい古い神社です。
祭神素盞雄大神・飛鳥大神が光を放って降臨した奇岩「瑞光石」が創建のきっかけとなったという伝承が残されているけど、このあたりの小学校には、「瑞光」という名前が付されているってとこにロマンを感じるってものです。
音無川跡歩きは期待外れ
素戔嗚神社から南にまっすぐ伸びるのどかな道は、これでも旧山谷街道の一部で、現在の日光街道と合流します。
三ノ輪の方に戻って、新吉原の遊女の亡骸を葬る、投げ込み寺浄閑寺の東側から、荒川区・台東区の区境となっている音無川跡を辿っていきましょう。
しかしどんどん進んで行っても、前回の古隅田川のような痕跡はまったくございません。
道幅は狭く交通量も多く、歩道もないし風は強いはで、ちっとも楽しくないのです。
まあ昭和8年という早い時期に暗渠化されてしまったので仕方ないんでしょうねえ。
それでも途中に右に左にぐねぐねと曲がるように区境が入り乱れているところがあったりして、そういうところをきゃいきゃい言いながら歩くのはちょっと楽しい。
さて川跡を辿っていくとやがてJR日暮里駅に到着。駅前が20年位前に来た時と比べてめちゃめちゃきれいになってる!(当たり前か)
でもさあ、どどーんと高層ビルが建っちゃったりしてさ、問屋街の駅前って雰囲気は微塵もない。もうこうなっては、駅の顔がどこも同じ。便利なんだろうしきちんとしてるからいいんだろうけど、街が育んできた個性をむしり取られた気がして、まあ、面白くないわね。
日暮里は武蔵野台地の上だ!
文句言いつつもJR日暮里駅西口から、区内のわずかな高台の西日暮里3丁目に渡りましょ。
荒川区は、そのほとんどが荒川低地に属する平地な一帯だけど、JR山手・京浜東北線の西側は、武蔵野台地の東の縁にあたり、西日暮里3-4丁目が広がるの。このあたりはここが同じ荒川区なのかと思うほど、風景が一変して面白いの。
ちょうど夕暮れ時となってきて、夕日が西の空を染めはじめた時間。西の谷に広がる千駄木や谷中をはじめ、その向こうの街並みの美しさ。
「日暮しの里」からつけられたとも謂われる日暮里。普通、日暮里というとどうしても現代は駅を起点とした栄えている口の方の、東日暮里を思いつくけど、本来の日暮里とは台地上のこのあたりを言うのねえ、と改めて先人の土地に対する思いの強さを感じますわよ。
山門に明治初年の上野戦争の際の、新政府軍が発砲した銃弾の痕が残っている経王寺を右に折れて、諏方台寺町の横丁を歩いていくと、ここが城東かと思うほどの武蔵野の雰囲気。不思議です。
運慶作と伝わる仁王2体が安置されている仁王門と梅が美しい養福寺、都内区部唯一地上から富士山が見える富士見坂、日暮里・谷中の総鎮守諏方神社と歩き、今回の終点、西日暮里公園。
ここはJR西日暮里駅の西の台地の上にあって、明治までは西のがけ下にある花見寺青雲寺の寺域だったそうな。そして北側は開成中・高校が今はある道灌山との間を堀割った急な崖。つまり昔から西~北~東が一望できる風光明媚な場所だったはずね。
タモリは、東京は台地のキワが面白い、とよく言うわね。これよくわかる。
平地は歩きやすいけど、風景の変化に乏しい。台地はその中でも、樹状浸食によって微妙に起伏があったりして景色が目まぐるしく変化するじゃない?いわんや台地が低地と接しあう、ここでいうと、JR山手・京浜東北線が通るラインの高いところからみる、下界の景色は、大都会の中のパノラマを味わえるのよねえ。
次回は板橋区です。